足立朝日

演芸作家 遠藤 佳三さん(74歳)

掲載:2011年1月5日号
青井1丁目在住

足立区を誰よりも愛して本籍移動
 足立区は財政的に苦しくても、「人材の宝庫」。例えば「演芸作家」を名乗れる人物は、東京に5人しかいないと言われるが、そのひとりである「遠藤佳三」足立区にあり! 日本テレビの人気長寿番組・45年の歴史を持つ「笑点」の初期から携わる構成陣の現チーフだ。
 遠藤は、東京外国語大学中国科を卒業後、大手広告会社の㈱博報堂に勤務。営業として分刻みのハードスケジュールに追われるうちに、心に温めていた「お笑いを書きたい」という思いが強く芽生え始めた。驚くのは妻・光世の言葉。乳飲み子を抱えながらも、あっさりと「やってみたら」と言ったあっぱれな女性だ。かくして遠藤は昭和41年、30歳で高給の博報堂を去り、蓄えを頼りに夢に向かって走り始めた。
 当時は空前のお笑い演芸ブーム。落語家では柳亭痴楽、林家三平、三遊亭歌奴の爆笑御三家、漫才ではコロムビアトップ・ライト、獅子てんや・瀬戸わんや、Wけんじ等々、大人気の演芸家がひしめき、テレビやラジオ、演芸場は最盛期を誇っていた。
 昭和42年、遠藤は遂に大御所演芸作家・小島貞二に師事。遠藤の意欲や能力を察知した小島は、常に数百冊の本を遠藤のために準備。厳しいアドバイスを与え、遠藤もそれに応えるべく課題をクリアし、テレビ局の制作現場、各演芸場ほか上方漫才の現場まで足繁く通い、無我夢中で研鑽(けんさん)を積んだ。小島が編んだ「落語名作全集」(立風書房)にも遠藤は大貢献し、思い出深い作業となった。
 真摯にお笑いの世界に対峙し、清貧の中でひたむきに走り続ける遠藤に、やがてテレビ局や漫才師から直に仕事が発注されるようになり、作品は次々とコンクールに入賞。怒濤の44年の軌跡は、著書「東京漫才うらばな史」(青蛙房)に記されている。当時の華やかな時代の中で流されることなく自分の意志を貫徹し、現在に至る姿が実に眩(まぶ)しい。遠藤が今うれしいのは、Wコロンの活躍。下積み時代の苦労を見ているだけに、喜びはひとしおだ。
 遠藤は本籍を墨田区から足立区に移した。「何といっても図書館と公園が多い足立区は素晴らしい!」と絶賛。在住する青井1丁目の交通網も整備され、書斎として大活用する図書館に通う時、「今日はどのルートで行こうかと考えるのも楽しい」とほほ笑む。その瞳の優しさ、穏やかさ。充足した人生を歩む人間の心の豊かさの象徴だ。
 遠藤の名刺には肩書きが記されていない。この世界で「遠藤佳三」という全人格を持って生き抜き、確固たる足跡を残した人間だけが為せる技である。世の中に「先生」は溢れていても、「子どもたちのお手本」となれなければ、真に「先生」とは呼べない。だからこそ遠藤には「先生」がふさわしい。