神明水の森公園の風車広場近くにある、真っ赤な社が特徴的な神社だ。周辺は閑静な住宅街でもあるため、公園に散歩に出かけながら、落ち着いて参拝できる神社だ。
祭神は宇迦之御魂命。詳しい創建などは不明だが、昔、内匠橋東詰の金子屋の屋敷にあった稲荷社を移したのではないかと言われている。
境内には、明治18年(1885)に奉納された盥漱石や、昭和8年(1933)の大東京合併記念に鳥居や灯篭が奉納された記念の石碑、畑二畝二二歩が奉納されたことが刻まれた石碑などがある。
この他、拝殿に登る段の脇に「大正9年(1920)、煉瓦土抱」と記された版がある。この土抱とは、神社の建物を盛土の上に安置させる土の押さえのこと。大正の初め頃、花畑村では煉瓦土が掘り出されていて、神社の後ろを流れる垳川ではそれを八潮の工場まで運ぶ船が往来していた。この煉瓦を土抱に使ったので、今でも参道を掘ると煉瓦のカケラが出てくるという。
ちなみに神明には、同じ様に赤い社の「赤稲荷神社」(神明1-1-8)が内匠橋の近くにある。
【交通】「綾瀬駅」からはるかぜ2号「八潮駅南口」行き、もしくは「西新井駅東口」からはるかぜ7号「八潮駅北口」行きで「六ツ木都住」下車、徒歩約4分
写真上/赤い社が目に付く
下/境内にある石碑
祭神は宇迦之御魂命。詳しい創建などは不明だが、昔、内匠橋東詰の金子屋の屋敷にあった稲荷社を移したのではないかと言われている。
境内には、明治18年(1885)に奉納された盥漱石や、昭和8年(1933)の大東京合併記念に鳥居や灯篭が奉納された記念の石碑、畑二畝二二歩が奉納されたことが刻まれた石碑などがある。
この他、拝殿に登る段の脇に「大正9年(1920)、煉瓦土抱」と記された版がある。この土抱とは、神社の建物を盛土の上に安置させる土の押さえのこと。大正の初め頃、花畑村では煉瓦土が掘り出されていて、神社の後ろを流れる垳川ではそれを八潮の工場まで運ぶ船が往来していた。この煉瓦を土抱に使ったので、今でも参道を掘ると煉瓦のカケラが出てくるという。
ちなみに神明には、同じ様に赤い社の「赤稲荷神社」(神明1-1-8)が内匠橋の近くにある。
【交通】「綾瀬駅」からはるかぜ2号「八潮駅南口」行き、もしくは「西新井駅東口」からはるかぜ7号「八潮駅北口」行きで「六ツ木都住」下車、徒歩約4分
写真上/赤い社が目に付く
下/境内にある石碑