足立朝日

101.「八幡神社」 西綾瀬3-6-15

掲載:2019年5月5日号
 西綾瀬3丁目の住宅街の一角に北向きに建つ「八幡神社」。八幡社は守護神が武神であることから、村を守るために村全体が見渡せる位置に造られたのではないかとされている。
 祭神は誉田別命。戦前はこの地から嫁ぐ者や、ここに嫁いできた者は必ず八幡神社に参拝した。また、太平洋戦争では出征する兵士の無事を祈り、ここから見送った。
 この辺り一帯は幕府の代官が支配していた。寛永年間(1624~1643)に起きた大飢餓で苦しんでいた農民のため、名主の岡村某は年貢の上納延期を代官に願い出た。しかし、期限が過ぎても約束が果たせなかったため、責任を一人で負い八幡社の前で自殺した。その弟は、兄の菩提を弔うために諸国を巡錫中に倒れ亡くなってしまった。遺品の錫杖が村に届けられ、それを八幡社の下に埋めた。
 また、別の説では寛永年間に綾瀬川の改修工事を請け負わされた村人たちが、工事に手間取り予算を使い切ってしまった。これを公金の横領とみなした幕府は、岡村の屋敷を取り囲んだ。岡村は弁明しても理解してもらえないと切腹。父は、息子の無念を思い四国八十八カ所の巡礼に出かけたが、途中で倒れ亡くなった。その時の遺品であるほら貝と錫杖を八幡社の下に埋めた。
 どちらの説も、岡村が村のために責任をとったという逸話である。
【交通】綾瀬駅からはるかぜ12号「西新井・亀有循環」で西新井東口行きに乗り西綾瀬三丁目下車、徒歩約5分

写真上/現在の社殿の右にかつての八幡神社の痕跡が残る
下/区指定の保存樹クロマツも植えられている