足立朝日

102.「笠間稲荷神社」 舎人2-12-6

掲載:2019年6月5日号
 舎人2丁目の住宅街に建つ「笠間稲荷神社」。ここは舎人という地名の由来に関係する武将・舎人孫四郎の子孫である舍人勝彦(74)氏が管理する神社だ。
 詳しい創建などは不明だが、少なくとも安土桃山時代の慶長年代(1596年~)には神社が存在していたと言われている。
 舎人孫四郎は、足立郡のほぼ全域を支配していた岩付太田氏に家臣として仕え、第二次国府台合戦の際には、主君の首が取られる寸前で敵を蹴散らし窮地を救ったと伝わる勇ましい武将だ。
 昨年まで、毎年ニの午の際に15軒ほどが集まり、食事をして意見交換を交わす御歩射が行われていた。一時期、現在の舎人5-9周辺に神社を移転したことがあったが、御歩射に参加した全員の夢枕にお稲荷さんが出て、「元の場所に戻して欲しい」と言われたので、現在の場所に戻したという言い伝えが残っている。
 また、子どもの夜泣きにご利益があると言われ、千住の方からお参りに来る人も。泣き止んだお礼にお稲荷さんに豆腐と油揚げを奉納していた。
 現在も毎年初午に合わせ、正月に茨城県笠間市の笠間稲荷神社へ行きお札を、千住の絵馬屋「吉田屋」で絵馬を受け取り奉納している。
 「昔はこの辺り一帯は畑だらけでしたが、住宅が建ち、日暮里舎人ライナーが開通し、街は発展しました。でも、この神社だけは変わらずに守り続けていきたいですね」と舍人氏は話してくれた。
【交通】日暮里舎人ライナー「舎人駅」もしくは「見沼代親水公園駅」から、徒歩約7分

写真/時代を見守りつづけている神社