千住宮元町3―8
氏子=千住宮元町

ご祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)、別名「八幡の皇子」と号し、後に第15代応仁天皇として即位。
前9年の役(1051年~62年)で源義家が奥州(現東北地方)征伐に赴く際、渡裸(とら)川の渡し場(現千住大橋川上200m位の所)に白幡を立て戦勝祈願をした。その白幡が名称の起源とされ祀られることとなった。
文禄年間(1592年と推定)に、遠州(静岡県)石出から国替えにより下総国千葉に移り住んだ掃部亮吉胤(かもんのすけよしたね)が武蔵国足立郡本木村(足立区本木町)に転じ、土地を開墾して慶長3年(1596年)、千住宿に接して掃部塾(かもんじゅく・千住仲町旧日光街道)を開発。子孫、名主・庄左衛門が元和2年(1615年)9月に創建された氷川神社(千住仲町)に、先祖から伝えられた「白幡」を奉納して「白幡八幡社」として合祀された。
それ以来、氷川神社は白幡山不動院(千住1丁目)別当の支配するところとなり、長い年月の間に「白幡八幡社」の御印が失われたと伝えられる。明治41年9月、千住町食鳥問屋・高橋福次郎氏によって、現在地に社殿などが建立され、氷川神社から宮元町の鎮守の神として分祀した。昭和20年4月、戦災で焼失した神社を昭和34年9月、千住宮元町・国井博隆、国井郡弥氏などによって再建復興した。

社殿の右側には甲をつけ右手に鉾、左手に宝塔を持つ千寿七福神の「毘沙門天」が鎮座する。
例祭日は9月14日。問合せTEL3881・1768大塚圭一郎宮司
※氏神様紹介は都神社庁発行の掲載名簿順に順次掲載。次回は千住橋戸町・稲荷神社
氏子=千住宮元町

ご祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)、別名「八幡の皇子」と号し、後に第15代応仁天皇として即位。
前9年の役(1051年~62年)で源義家が奥州(現東北地方)征伐に赴く際、渡裸(とら)川の渡し場(現千住大橋川上200m位の所)に白幡を立て戦勝祈願をした。その白幡が名称の起源とされ祀られることとなった。
文禄年間(1592年と推定)に、遠州(静岡県)石出から国替えにより下総国千葉に移り住んだ掃部亮吉胤(かもんのすけよしたね)が武蔵国足立郡本木村(足立区本木町)に転じ、土地を開墾して慶長3年(1596年)、千住宿に接して掃部塾(かもんじゅく・千住仲町旧日光街道)を開発。子孫、名主・庄左衛門が元和2年(1615年)9月に創建された氷川神社(千住仲町)に、先祖から伝えられた「白幡」を奉納して「白幡八幡社」として合祀された。
それ以来、氷川神社は白幡山不動院(千住1丁目)別当の支配するところとなり、長い年月の間に「白幡八幡社」の御印が失われたと伝えられる。明治41年9月、千住町食鳥問屋・高橋福次郎氏によって、現在地に社殿などが建立され、氷川神社から宮元町の鎮守の神として分祀した。昭和20年4月、戦災で焼失した神社を昭和34年9月、千住宮元町・国井博隆、国井郡弥氏などによって再建復興した。

社殿の右側には甲をつけ右手に鉾、左手に宝塔を持つ千寿七福神の「毘沙門天」が鎮座する。
例祭日は9月14日。問合せTEL3881・1768大塚圭一郎宮司
※氏神様紹介は都神社庁発行の掲載名簿順に順次掲載。次回は千住橋戸町・稲荷神社