足立朝日

この本

掲載:2020年7月5日号
★「そんな夢をあともう少し~千住のおひろ花便り」稲田和浩著/祥伝社刊/720円+税
 大衆芸能脚本家・演芸評論家・ライターの稲田氏による書下ろし「千住を舞台とした時代小説」が誕生した。
 12歳で吉原へ売られた「おひろ」は、常に自らの人生を俯瞰し、遊女としての運命を受け入れるが、一度だけ添い遂げたいと願う男が現れる。しかし、運命は過酷だ。
 かつて千住の宿は、千住大橋を挟んで、北側が本宿、南側の2町が安価で職人や小商人が遊べるような遊女屋が立ち並んでいた。年季が明けてからの人生を、おひろは千住で「おばさん」として過ごす。遊女屋では遊女以外の女性の奉公人をそう呼び、誰よりも遊女の気持ちが解るおひろは、一目置かれる働きをして時が流れるが……。
 稲田氏の初時代作品とは思えない軽妙な筆致の中に、深い知識と市井の人々への温かな目線が感じられる。
 何といっても、同作品の構成力の素晴らしさは圧巻だ。7章から成る同作品では、登場人物の大家・佐兵衛、狂歌の宗匠で噺家の滝川鯉弁、経師屋の又吉と女房のおよし、その他、何人もの江戸っ子たちの日々の生き生きとした営みが描かれ、章が変わるごとに「個々の言動」がおひろとの関りを鮮明にしていく。
 長く演芸の世界に身を置いた同氏だからこそ書けるストーリー展開。おひろという一人の女性が愛おしく、彼女が今も千住の町を歩いているような錯覚さえ覚える感動作だ。