足立朝日

坂本龍馬の許婚・千葉さな 実は結婚していた!? ―11月6日(土)マルイ10階講義室で講演会―

掲載:2010年10月20日号
坂本龍馬の許婚、千葉さな。大河ドラマでの龍馬を一途に想う姿は多くの人の共感を呼び、ファンが急増した。
 さなが千住で灸治院を開き生涯を終えたことは、足立朝日1月5日号でも紹介。終焉の地、千住中組993番地(現千住仲町1番地)には今年4月、NPO千住文化普及会(櫟原文夫理事長)によって「千葉灸治院跡」の説明板が設置された。
 これまで通説では、さなは龍馬への愛を貫いて一生独身だとされていた。ところが、実は一度結婚していたという新説が浮上、歴史ファンを驚かせている。
 発表したのは、歴史研究家・あさくらゆう氏。詳細は「足立史談」第508(6月15日)号に掲載、7月3日には共同通信でも発表された。
 その根拠となっているのが、明治36(1903)年10月発行の「毎日新聞」(現在の毎日新聞とは別物)に連載された「千葉の名灸」。記述によると、さなは移り住んだ横浜で、元鳥取藩士・山口菊次郎からの求愛を受け、龍馬の七回忌を終えた後に承諾。相手の家格が下だったため反対する父・定吉を押し切って結婚するが、夫の浮気が原因で離婚。明治15(1882)年、千住で灸治院を開いたという。
 あさくら氏は鳥取にも出向き、資料をつぶさに調査した結果、この新聞記事の信憑性が高いと確信に至ったという。
 一途なイメージが崩れたという人もいるだろう。だが、あさくら氏は逆に良かったと言う。「今までのさなのイメージは、健気だけど暗かった。龍馬のことだけを考えて、貧乏でひっそり暮らしていたという感じで。だけどそうじゃなくて、明るく生き生きした女性だとわかった。それに結婚したからといって、さなが龍馬を愛したことに変わりはない」
 金銭的にもしっかりしていて、結構お金持ち。腕っぷしも強く、周りの人たちから頼りにされていたのでは、とも。
 さなの縁者が、柳町の小田切家に養子に行っていることからも、千住に根を下ろすつもりだったことがわかるという。「当時、千住の遊郭は活気があった。そんな中で、人々と交わってたくましく生きていた。それを千住の歴史として伝えていければ」とあさくら氏。
 千住でさなは3回転居している。最初に住んでいた千住1‐1(現1‐4)は、南足立郡区役所(旧足立区役所)の建設により移転。現在東京芸術センターが建っているが、丁度さなの家があった場所に「千葉銀行」が入っているのは、偶然のご愛嬌かもしれない。
【講演会/今明かされる真実 龍馬の許婚・千葉さな】
 あさくら氏が様々な検証をもとに、激動の時代をたくましく生き抜いた女性としての姿を語る。
▼日時=11月6日(土)午後1時半~3時(1時開場)
▼場所=北千住マルイ10階講義室1
▼講師=あさくらゆう氏(幕末歴史研究家)
▼主催=NPO法人千住文化普及会
▼参加費=500円(資料代)▼定員=50人
▼申込み方法=①郵便番号②住所③名前④自宅電話番号を明記し、FAXかハガキで申込む
▼申込み・問合せ=〒120‐0037 千住河原町21-8-702 NPO法人千住文化普及会事務所、FAX3868・3233、TEL090・1431・1806(大川)

写真=上/明治36年の毎日新聞に掲載された千葉灸治院の挿絵=あさくら氏提供
下/明治40年代の千葉灸治院(東京近郊名所図会より)=同上