足立朝日

帰宅困難者でパンク 避難所と防災に見えた課題

掲載:2011年4月5日号
 今回の震災では大きな被害のなかった足立区でも、課題を突き付けられた。
 11日(金)の地震後、鉄道が止まり、北千住駅には大量の帰宅困難者が溢れた。同駅利用者だけでなく、都心から歩いて移動してきた人が増え続けて溜まり、数は膨れ上がった。
 北千住駅はJR常磐線、東京メトロ千代田線、日比谷線、東武伊勢崎線、つくばエクスプレスが乗り入れるターミナル駅であるため、数年前から滞留者誘導訓練が都によって行われている。今年も2月に実施されたばかりだ。
 訓練は大地震により鉄道が止まった想定で、駅と隣接する商業施設に滞留する人々を、駅員と施設従業員、町会など地元住民が、河川敷の広域避難所、もしくは歩行帰宅のための幹線道路に誘導する。
 だが今回の地震では、直接の被災地ではないにも関わらず、訓練通りにはいかなかった。区災害対策課によると、マルイ、ルミネ、鉄道関係者は、それぞれ建物と駅から滞留者を出すのが精一杯で、誘導まで手が回らなかったという。

帰宅困難者に学校施設を解放
 本来は千住新橋ふもとにある学びピアで水と食料を渡し、歩いて帰ってもらうのが原則だったが、人の多さから学校を受け入れ先として開けざるをえなかった。
 北千住駅滞留者の対応施設となったのは、千寿常東小、千寿本町小、双葉小。収容しきれずさらに、駅から徒歩20~30分離れた第一中、千寿青葉中も解放された。埼玉方面へのルート沿いにある弥生小、第四中、渕江中、六月中、東京武道館なども加え、区内計10カ所。帰宅困難者の総数は不明だが、計約2700人が宿泊した。
 千寿本町小学校では、約900人を受け入れた。千住三丁目町会(山﨑次郎会長)の副会長で青年部部長の久保田修平さん(60)は、先生たち
を助けて奔走した一人だ。
 花屋を営んでいる久保田さんは、店の前を通りかかった子どもたちをすぐ近くの神社に避難させた足で、日頃から交流のある本町小に向かった。「なにか手伝えることがあれば」との考えで、帰宅困難者受け入れを知ってのことではなかった。

電話が通じない見えてきた課題
 行ってみると、学校では林正樹校長以下、てんてこまいの状態。急いで走って仲間10人を集め、配布用の備蓄食料と水1000人分を、1㎞離
れた学びピアからリヤカーなどで何往復もして運び入れた。備蓄は地下にあり、急な坂道を上がるのが特に大変だったという。
 後になって「知っていたら行ったのに」という声が多数聞かれたが、「とにかく電話が全然通じなかった」。人手を集めようにも、固定も携帯も電話が繋がらない予想外の事態に、成す術(すべ)がなかった。
 久保田さんは、「何かあったら、まず集まる、と決めておかないと。1~5丁目の町会長を中心に話し合って、決めていく必要がある」。学校が空いている昼間はまだいいが、夜間の場合、鍵はどうするかという問題もある。
 「学校に泊り徹夜で対応した先生方は、もっと大変だったと思う」。翌日、久保田さんたちが片付けの手伝いに行くと、駅が閉まっているから居させてほしい、と戻ってくる帰宅困難者もいたという。
 東京が激しく被災した場合、地元の人たちを受け入れるだけで精一杯なのは目に見えている。今回の震災を教訓に、地元、行政が一体となって、様々な地域防災を見直す必要がある。

写真/区は歩いて帰る人たちに、非常用のクラッカーと水1万人分を配布した=区役所前で