足立朝日

第93回全国高等学校野球選手権大会 東東京大会 足立区球児たちの熱い闘い、涙で幕

掲載:2011年8月5日号
 足立区の高校球児たちの夏が、終わった。第93回全国高校野球選手権・東東京大会(主催=朝日新聞社・都高野連)は、7月31日(日)に終了。興奮と熱気の中、力の限り戦い抜いた選手たちの汗と涙が、記憶に刻まれた。

都立新田高
 台風で2日延期となった7月21日(木)、強風の中、江戸川区球場の試合を終えた選手たちの顔は、涙に濡れていた。瀧本愛菜さん(3年)率いるダンス部のチアリーダーたちも、肩を落とした。
 都千歳丘に8―1でコールド負け。守備からリズムを作れず、流れを引き寄せることができなかった。6年連続16強まで、あと1勝。小野将幸監督が「申し訳ない」と頭を下げると、一旦は落ち着いていた全員の目に、再び涙が溢れた。
 畠中陽一前監督が、4月に異動。主将の佐々木政人君(3年)が監督代行として、多忙な小野監督を支えチームを引っ張ってきた。応援に駆けつけた畠中前監督は、「こんなに成長した学年はない」と3年生の健闘を称えた。最初は、「野球以前の部分ができていなかった」と、入部2日目で全員退部にする荒療治も。その後、人間的に大きく成長、全員がチームのことを一番に考える頼もしい部になっていた。
▼転入生の新戦力
 その頼もしさは、4月に入部したばかりの廣田拓也君(3年)を迎え入れた時にも発揮された。
 廣田君は、元は福島県立浪江高校の野球部員。東日本大震災と福島第一原発の事故により避難、用意された区内の都営住宅に入居し、「窓を開けたら学校があって、野球部が練習していたのが見えた」ので入学した。野球道具は何もなく諦めかけていたが、みんながグローブやスパイクなど持ち寄ってくれた。
 彼の力を見抜き後押ししたのは、ベンチ入りできなかった3年の部員たち。廣田君は3回戦に捕手として出場、チームを勝利に導いた。
▼仲間に感謝
 エースの岩野将平君(2年)は、他校から入学しなおしたため、本来なら3年生の年齢。規定により大会出場は今年が最後だった。
 6回裏に追加の4点を失った時も、仲間の支えで持ちこたえ、最後まで投げ切った。「つらいときも一緒だったので、それを信じて投げた。仲間に感謝」と語った。

足立学園
 団長の国兼勇太君(3年)率いる応援団の野太い歌声には、ベンチ入りできなかった部員全員の想いが込められていた。歌で応援するのは、先輩から受け継がれた伝統だ。
 「足立区から甲子園に一番乗りすること」――今年もその夢は、叶わなかった。初戦の2回戦と3回戦はコールド勝ち。7月18日(月)に神宮で行われた4回戦で、城西に7―10で惜しくも敗れた。
 主将の高井善大(よしひろ)君(3年)は、「守りでリズムを作ってつなげるのがチームカラー。自分たちの試合ができなかった」と反省。「やりきった感じ。後輩が自分たちのできなかったことをやってくれる」と吹っ切れた笑顔を見せた。
▼下町のダルビッシュ
 全試合で注目を集めていたのがエースの吉本祥二君(3年)。187cmの長身としなやかなフォームが日ハムのダルビッシュを思わせ、スポーツ紙がつけた呼び名が「下町のダルビッシュ」。小1から「足立ポップス」で野球を始め、中学は「ブラックキラーズ」(軟式)に所属し、都大会で優勝した。
 私学のスカウトもあったが、学業と両立したいと区内高校に進学し、1年から夏の大会に出場。今年の春、最速146㎞を出した。昨年は「大学に進学」と話していたが、今は「プロを目指す」ときっぱり。「注目してもらえるようになって、自分でも自信がついた」。
 初戦では、ほのぼのした応援曲『崖の上のポニョ』で、ヒットも打った。「みんなが使っていない独自のものを」と本人の選曲だ。
 城西戦は、最初から四球を出すなど4失点、5回で降板。「期待に応えたい」とのプレッシャーの中、暑さで体調を崩し、吐き気をこらえてのピッチングもあった。「夏に負けない体力をつけないと」。悔し涙で、プロの夢に向けて課題克服を誓った。

写真上/思い切り泣いた後、すがすがしい笑顔で写真に収まる足立新田の部員たち=江戸川区球場で
下/初戦、しなやかなフォームで好投した吉本君=神宮球場で