足立朝日

一茶まつり50周年記念祝賀会を開く 炎天寺 吉野秀彦住職 (52歳)

掲載:2012年3月5日号
支えてくれた無数の方に感謝、次の50年へ

 「こんなに続くとは思わなかった。ものすごい数の方が支えてくれて50年。その感謝の気持と次の50年を考える機会を与えてもらって本当に感慨深い」――。一語一語噛みしめるように話す吉野住職は、3歳の時の自分に思いを馳せる。
 昭和37年(1962年)、先々代の故吉野堅清住職の時、江戸時代の俳人・小林一茶が詠んだ「蝉(せみ)鳴くや六月村の炎天寺」の句碑が、同寺境内に建てられた。その除幕をしたのが自分で、その年から「一茶まつり」が始まったのだ、と思うと、何とも言えない気持になる、と言う。 句碑が建つと、「俳句大会をやろう」ということで、その年「大人の句会」が始まった。翌年、一茶の「やせ蛙負けるな一茶これにあり」の句が炎天寺で詠まれたことがわかると、今度は、その句碑を建立。保木間小学校の先生の依頼を受ける形で、区内の4つの小・中学校から集まった300句で「子どもの句会」がスタート。これが今や全国12万人の小・中学生が参加する「全国小中学生俳句大会」の記念すべき最初の大会となった。
 それから半世紀。毎年11月23日に開催される「一茶まつり」は、堅清氏からその子の孟彦(もうげん)氏に引き継がれ、平成14年から今の秀彦氏にバトンタッチされた。「とにかく、檀家、俳壇の方、近所の方、特に裏方に回った女性陣など、多くの方に支えられてここまで来た、ということに尽きます」とまたまた感謝の言葉が口を衝く。
 炎天寺は、平安末期に創建されたこのあたりでは、西新井大師(総持寺)に次ぐ古刹(こさつ)。その栄えある歴史を一茶がつなぎ、現在の子どもたちが引き継ぐ。
 秀彦住職は、今年度のNHK俳句の選者の一人である高野ムツオ氏について俳句を学んで4年。インターネット句会にも投句する常連だ。
 最後に、同住職の最近の一句。「赤鬼の涙雪解(ゆきげ)の水となれ」。「高野先生に○をもらいました」と嬉しそうに照れた。

写真/小林一茶像と一緒に=炎天寺で