日本百名山を制覇
石鍋 元章さん(62歳)
六月二丁目在住
建築設計会社コンクラグループの代表・石鍋元章さんは、精力的な企業人の例に漏れず、本業以外に多くの肩書きを持つ。東京江北ロータリークラブ会長、東京商工会議所足立支部副会長、保護司。趣味の釣りでは奥鬼怒岩魚保存会会員、過去には竹の塚小PTA会長や区青少年委員会長などがある。
公私にわたる幅広い活動の中でもう一つ、書面にない肩書きがある。それは「日本百名山を制覇した男」である。2001年3月に筑波山からスタートし、達成まで3年半というハイペースだ。実は芝浦工業大学で山岳部に所属し、昭和41年に南米の第2高峰・アンデスのイエルパハ(6643m)の登頂に成功した経歴の持ち主。その記録を仲間と共著で『アンデスの白い鷹』として出版、16㎜フィルムで撮影した登山記録はテレビで放映された。 だがその後、剣岳で悪天候により遭難したことで家族の猛反対に合い、山を引退。大学での耐震研究を経て設計業界に入り、独立後に結婚してからは仕事やゴルフなどに没頭する日々が続いた。ところが無理がたたり、肺の動脈を切る大病や坐骨神経痛を患う。治療を兼ねて歩くために、伸子夫人と百名山を始め、30数年ぶりの登山復活となった。
達成感を糧に200山に挑む
「初め百名山にはこだわっていなかったが、いい山は大抵入っている。どうせなら目的を持って登った方がいいだろう、と」。石鍋さんが一番好きなのは、山から離れるきっかけともなった、あの剣岳という。険しさで有名なこの山の魅力を「すごい男性的というか、人を寄せ付けない。青春の僕のシンボル。学生時代、ここにとりつく尾根は全部登った」と熱く語る。
登山という厳しく苦しい作業を、なぜ続けるのか。「緻密な計画を立てて苦しい思いをして、それを乗り越えて尾根に、頂上に立つ。その達成感だね」、そして「人生ってメリハリがないと楽しくないじゃないですか。お金儲けとか出世とかより、楽しくありませんか」と逆に問いかける。
「60歳までに100山終った。65歳までに200山、70歳までに300山。まだまだ続くんですよ」。男臭い顔でニヤリと笑う。芯が通った無駄のない口調で仕事をこなす姿は、厳しい山の姿を連想させる。
石鍋 元章さん(62歳)
六月二丁目在住
建築設計会社コンクラグループの代表・石鍋元章さんは、精力的な企業人の例に漏れず、本業以外に多くの肩書きを持つ。東京江北ロータリークラブ会長、東京商工会議所足立支部副会長、保護司。趣味の釣りでは奥鬼怒岩魚保存会会員、過去には竹の塚小PTA会長や区青少年委員会長などがある。
公私にわたる幅広い活動の中でもう一つ、書面にない肩書きがある。それは「日本百名山を制覇した男」である。2001年3月に筑波山からスタートし、達成まで3年半というハイペースだ。実は芝浦工業大学で山岳部に所属し、昭和41年に南米の第2高峰・アンデスのイエルパハ(6643m)の登頂に成功した経歴の持ち主。その記録を仲間と共著で『アンデスの白い鷹』として出版、16㎜フィルムで撮影した登山記録はテレビで放映された。 だがその後、剣岳で悪天候により遭難したことで家族の猛反対に合い、山を引退。大学での耐震研究を経て設計業界に入り、独立後に結婚してからは仕事やゴルフなどに没頭する日々が続いた。ところが無理がたたり、肺の動脈を切る大病や坐骨神経痛を患う。治療を兼ねて歩くために、伸子夫人と百名山を始め、30数年ぶりの登山復活となった。
達成感を糧に200山に挑む
「初め百名山にはこだわっていなかったが、いい山は大抵入っている。どうせなら目的を持って登った方がいいだろう、と」。石鍋さんが一番好きなのは、山から離れるきっかけともなった、あの剣岳という。険しさで有名なこの山の魅力を「すごい男性的というか、人を寄せ付けない。青春の僕のシンボル。学生時代、ここにとりつく尾根は全部登った」と熱く語る。
登山という厳しく苦しい作業を、なぜ続けるのか。「緻密な計画を立てて苦しい思いをして、それを乗り越えて尾根に、頂上に立つ。その達成感だね」、そして「人生ってメリハリがないと楽しくないじゃないですか。お金儲けとか出世とかより、楽しくありませんか」と逆に問いかける。
「60歳までに100山終った。65歳までに200山、70歳までに300山。まだまだ続くんですよ」。男臭い顔でニヤリと笑う。芯が通った無駄のない口調で仕事をこなす姿は、厳しい山の姿を連想させる。











