薫風かおる5月。新緑燃える季節。人は、たまらなく旅をしたくなるものだ。
江戸・元禄2年(1689年)5月16日(旧暦3月27日)、俳聖・松尾芭蕉は、東北地方の長旅を、全く突然に思いついた。「おくのほそ道」に曰く、「奥州長途の行脚ただかりそめに思ひ立ちて……」。芭蕉46歳の時である。
続けて「呉天に白髪の憾重ぬといへども」と書き、遠い旅空のもと、雪が頭に積もって白髪になるような苦労は覚悟の上であると、その旅へのなみなみならぬ決意を記す。
これは、やはり我々がふらっと出かける旅とは、ちょっと違うようだ。「人生すなわち旅」という観念を実生活の中で徹底した、というべきであろう。
今、芭蕉が歩いたのと同じ道を同じように訪ね歩いている人が急増しているという。小生も、その一人に加わりたいところなのだが、煩悩ばかりが多くなかなか難しい。
結局、芭蕉の足跡を「なめる」程度の旅となりそうだ。「緑のそよ風」の5月、さあ旅をしよう。 (編集長)
江戸・元禄2年(1689年)5月16日(旧暦3月27日)、俳聖・松尾芭蕉は、東北地方の長旅を、全く突然に思いついた。「おくのほそ道」に曰く、「奥州長途の行脚ただかりそめに思ひ立ちて……」。芭蕉46歳の時である。
続けて「呉天に白髪の憾重ぬといへども」と書き、遠い旅空のもと、雪が頭に積もって白髪になるような苦労は覚悟の上であると、その旅へのなみなみならぬ決意を記す。
これは、やはり我々がふらっと出かける旅とは、ちょっと違うようだ。「人生すなわち旅」という観念を実生活の中で徹底した、というべきであろう。
今、芭蕉が歩いたのと同じ道を同じように訪ね歩いている人が急増しているという。小生も、その一人に加わりたいところなのだが、煩悩ばかりが多くなかなか難しい。
結局、芭蕉の足跡を「なめる」程度の旅となりそうだ。「緑のそよ風」の5月、さあ旅をしよう。 (編集長)