有沢ジム所属・スーパーウェルター級
日本ランキング10位・東洋太平洋4位
川崎タツキさん
少年院、構成員、薬物依存…波乱の半生を送った川崎タツキさん。昭和47年生まれ、竹の塚出身。
彼の壮絶な過去は「はぐれ者―悪魔と戦ったボクサー、川崎タツキの半生」(㈱ネコ パブリッシング原功著)というハードカバーで出版されるほどに凄まじい。先日もテレビ東京の番組「マヨカラ」で、薬物依存の恐怖についてテレビ出演したばかり。しかし、実際の彼はそんな半生を想像できない、とても人懐こい笑顔を見せる好青年だ。
反抗期の頃の彼は厳格な父親と深い確執があり、家に帰らなくなった。母は小学生の時に他界。彼は孤独感を強めていた。この頃からボクシングを始めるが、中3の時、暴行事件を起こし初等少年院に入り、ボクシングを辞めざるを得なくなった。
ケンカが強く「タンタン」というあだ名で名を馳せた。「タンタン」は裏の世界にまで名を知らしめ「ケンカ腰で組事務所に乗り込んだが意気投合してしまい、家族のように感じてしまった」と明るく話す。父親と同じくらいの世代の組員に、父親を重ね合わせていたのかもしれない。しだいに組事務所にいる時間が長くなり、事務所から通学するようになった。
死の淵から這い上がったプロボクサー
16 歳で構成員になり、拳銃不法所持で再び少年院へ送られた。その後、22歳からの3年間、薬物に手を染めてしまう。なんでも徹底的にのめり込む性格が災いし、薬物に身も心も侵された。薬物特有の症状、幻聴が進行し「早く死ね」などの声が聞こえるようになり、手首を切り自殺未遂を起した。偶然姉が見つけ、そのまま精神病院に入院。薬物リハビリ施設「沖縄ダルク」で1年間リハビリを受け、体重は90キロまで増えた。現在では薬物は論外のこと、タバコも断ち「二度と吸わない」ときっぱり。
太ったことを恥じた彼はジョギングで痩せてからスポーツクラブに通おうと考えた。その頃、現在所属している「有沢ボクシングジム」のトレーナーであり、元選手のコージ有沢さんとカズ有沢さんに「ボクシングをやらないか」と誘われたのがきっかけでボクシングを再開。背中からお尻まで入っていた刺青を手術で消したが、完全には消えないためファンデーションを塗って試合に出場。日本ランキング1位、東洋太平洋1位まで昇りつめたが、今年の1月、「50年ぶりのWタイトルマッチ」で惜しくも敗退。「みんなに優しくしてもらえて幸せです。何が何でもベルトが欲しい。夢は世界チャンピオン。目標は日本チャンピオン」と屈託なく笑う。苦難を乗り越え、人間的な魅力に満ちあふれた川崎タツキさん。彼の視線は世界を見つめている。
日本ランキング10位・東洋太平洋4位
川崎タツキさん
少年院、構成員、薬物依存…波乱の半生を送った川崎タツキさん。昭和47年生まれ、竹の塚出身。
彼の壮絶な過去は「はぐれ者―悪魔と戦ったボクサー、川崎タツキの半生」(㈱ネコ パブリッシング原功著)というハードカバーで出版されるほどに凄まじい。先日もテレビ東京の番組「マヨカラ」で、薬物依存の恐怖についてテレビ出演したばかり。しかし、実際の彼はそんな半生を想像できない、とても人懐こい笑顔を見せる好青年だ。
反抗期の頃の彼は厳格な父親と深い確執があり、家に帰らなくなった。母は小学生の時に他界。彼は孤独感を強めていた。この頃からボクシングを始めるが、中3の時、暴行事件を起こし初等少年院に入り、ボクシングを辞めざるを得なくなった。
ケンカが強く「タンタン」というあだ名で名を馳せた。「タンタン」は裏の世界にまで名を知らしめ「ケンカ腰で組事務所に乗り込んだが意気投合してしまい、家族のように感じてしまった」と明るく話す。父親と同じくらいの世代の組員に、父親を重ね合わせていたのかもしれない。しだいに組事務所にいる時間が長くなり、事務所から通学するようになった。

死の淵から這い上がったプロボクサー
16 歳で構成員になり、拳銃不法所持で再び少年院へ送られた。その後、22歳からの3年間、薬物に手を染めてしまう。なんでも徹底的にのめり込む性格が災いし、薬物に身も心も侵された。薬物特有の症状、幻聴が進行し「早く死ね」などの声が聞こえるようになり、手首を切り自殺未遂を起した。偶然姉が見つけ、そのまま精神病院に入院。薬物リハビリ施設「沖縄ダルク」で1年間リハビリを受け、体重は90キロまで増えた。現在では薬物は論外のこと、タバコも断ち「二度と吸わない」ときっぱり。
太ったことを恥じた彼はジョギングで痩せてからスポーツクラブに通おうと考えた。その頃、現在所属している「有沢ボクシングジム」のトレーナーであり、元選手のコージ有沢さんとカズ有沢さんに「ボクシングをやらないか」と誘われたのがきっかけでボクシングを再開。背中からお尻まで入っていた刺青を手術で消したが、完全には消えないためファンデーションを塗って試合に出場。日本ランキング1位、東洋太平洋1位まで昇りつめたが、今年の1月、「50年ぶりのWタイトルマッチ」で惜しくも敗退。「みんなに優しくしてもらえて幸せです。何が何でもベルトが欲しい。夢は世界チャンピオン。目標は日本チャンピオン」と屈託なく笑う。苦難を乗り越え、人間的な魅力に満ちあふれた川崎タツキさん。彼の視線は世界を見つめている。