足立朝日

星正喜さんを悼む-柴原保圭

掲載:2007年3月20日号
◆◇星正喜さんを悼む-柴原保圭
 本誌の俳句欄「あだち俳壇」ができて、15年ほどになる。
 多くの俳句愛好家の支持を得て此処まで続けて来られたのも、社主岩城武氏の力によるところが多い。俳句投稿者の中には、既に亡くなられた人を含めるとかなりの数になる。その中でも常に上位の席を保ちつつ立派な俳句を作り続けてきた、星正喜氏を失ったことは余りにも淋しいことであった。
  蒔絵師という職業上から生まれる俳句には絵画的特色があって注目していた1人である。
  北千住駅学園通りにある私の家の近くの錯綜した路地に星正喜さんの句碑   住んでいて、仕事場は2階だった。漆や膠(にかわ)、全粉を使う仕事だけに北側の部屋が良いらしく裸電球の下で、椀やお盆などの什器類をはじめとして剣道の道具などにも家紋などを描く姿があった。彼は故郷会津の徒弟時代が長かったが、その頃を回顧した多くの作品がある。
  65歳の時であったか腱鞘炎にかかって手が痺れるようになった。春日部に自分の墓を建てるがその脇に句碑をつくりたい、ついては長く指導を受けた私に、代りに揮毫(きごう)して欲しいとの希望だった。その句は、「蒔絵描く一つ小窓の雪明り」正喜
という句だった。彼の障涯を代表するに相応しい作品として心をこめて書かせていただいだ。雪深い会津の土蔵。雪明りの射込む小窓で細かい仕事をこつこつ続けてきた自画像とも思える。
  彼は句集を作るより、自分の命を超えて世に残るような一句が欲しい、と常々言っていた。
  2月6日。梅の咲く頃に黄泉の人となった。
「八十四天寿全う梅月夜」              保圭
(平成19年3月5日記)