足立朝日

こどもの玩具とともに100年 5月8日(月)創業記念日のイワヤ(株) 生誕100年の「忠犬ハチ公」とコラボ

掲載:2023年5月5日号
 セルロイドの「はいはい人形」やシンバルを叩きながら歩く「サルの玩具」などを喜んだのは、あなたの遠い昔? そんな玩具を産み出してきた「イワヤ㈱」が、この8日(月)に創業100年を迎える。同社は、2020年に梅島の地から千葉県松戸市に本社を移したが、バリバリの「足立っ子」の一世紀を刻んだ。

◆生誕100年の「忠犬ハチ公」とコラボレーション
 玩具メーカー「イワヤ」は、大正12年(1923年)5月の創業。途中、太平洋戦争をはさみながら、しばらくは輸出を中心に、その後は国内外でホビーやキャラクター雑貨など、動く玩具(電動玩具)の草分けとして様々な玩具を提供し続けて来た。
 100周年を迎えるに当たり、創業者の孫・3代目社長の岩谷敏明氏を会長に、4代目社長の待井幹雄氏(71)が退き、前開発・生産次長の東山誠氏(56)が5代目の社長に就任。
 記念の式典などは行わないが、渋谷にある「忠犬ハチ公」が今年100年になることから、同社の売れ筋商品「動物シリーズ」の「おでむかえワンワン シロちゃん」(メーカー希望価格税込3630円)と「キャンキャン秋田犬」(同2068円)に「ハチ公生誕100年」の下げ札を付け、「おかげさまで イワヤは100周年」と書かれたPOPを店舗に付けて売り出す。
◆「子どもがいる限り、玩具は永遠のアイテム」
 青森県から出て来た岩谷慶吉氏(1903-1984)が、当時の東京府南葛飾郡綾瀬村大字柳原で、玩具製造を開始。岩谷氏は、1978年(昭和53年)のインタビューで「子どもたちに玩具を!これが人間としての感情」と語り、さらに「子どもがいる限り、玩具は永遠のアイテム」と語っている。
 事業が発展し、6年後の1929年に、梅島2-14-7、今のベルモント公園前に移転、以来、玩具工場がひしめく東京東部地区の重鎮としてフル操業してきた。当初は、「はいはい赤ちゃん」や乳母車などのセルロイドで出来たゼンマイ式玩具を作り、主に米国に輸出していたが、1941年(昭和16年)~1945年(同20年)11月まで、太平洋戦争で玩具製造は中止、戦後、玩具生産を復活。
【40年間同社で玩具を作って来た待井幹雄前社長の話】「よく頑張ってきたな」が率直な感想だ。「楽しい、面白いおもちゃを作ろう」とみんなが考え、脈々と続けて来た結果がたまたま100年となったと思う。
【東山誠社長の話】本当に色々なことがあった。それを乗り切るのは大変だったが、今後も「感動の有る玩具」作りに徹して、とにかく走り続けたい。
【メモ】現在の本社は、千葉県松戸市松戸新田65-5、TEL047・702・3180、FAX047・702・3184総務課
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写真上から①100周年を背負う「おでむかえワンワン シロちゃん」と「キャンキャン秋田犬」
②東山社長
③米国で爆発的に売れたサルの人形「ジョッコー」
④「はいはい赤ちゃん」と「ミスターロボット」
⑤3階建ての新社屋
⑥昭和51年(1976年)当時のイワヤ・梅島工場=イワヤ㈱提供