ミツバチを自然に触れる窓口に
祖母から継いだ畑で野菜を育て、時折ハチミツも販売する個人養蜂家として、周辺地域で知られている。
福原さんがミツバチに出会ったのは、中学校の修学旅行で行った那須高原ハニー牧場。「人間に飼われている意識がないのに、人が手を入れてあげないと生きていられないところ」に興味を引かれたという。その後、岩手県の老舗・藤原養蜂場(明治34年創業)の見学会に参加。初めて屋外で飛び交っている蜂の姿を目にしてますます養蜂への思いは募り、図書館で蜂の本を借りて読み漁った。
その行動力で、藤原養蜂場の3代目で日本ミツバチ研究の第一人者・藤原誠太さんが主宰する日本在来種みつばちの会に入会。飛び込んだプロの集まりは「10代は私一人。60代が若手という世界だった」。衰退産業と言われる中、目を輝かせる中学生は大きな希望だったに違いない。藤原さんからの誘いで、都内のビル屋上での採蜜を見学する機会も得た。
高1になって、自宅に念願の巣箱を2箱設置し、1人で養蜂を開始。本の知識と実践の違いに手探りながらも、数十㎏採取できたという。翌年、藤原さんから「いきなり銀座に行け」と言われた先が、立ち上げ準備をしていた「銀座ミツバチプロジェクト」(銀ぱち)。高2にして養蜂指導の重責に見事に応えた。
銀座のビルの屋上での養蜂に当初は否定的な意見があったが、初年度の4~6月に100㎏の蜜を収穫。「銀座で飼ってわかったことは、人間が観賞用に植えている街路樹が蜜源になっていて、それが何百本単位で途切れずに咲くこと。花は単一の植物が多い農村部より町中の方が多い」
東京農業大学国際農業開発学科で学び、ベトナム、タイ、ブラジル、アルゼンチンの養蜂も研究。卒業後に銀ぱちに就職し、今や「ミツバチ博士ふくちゃん」として欠かせないメンバーだ。
養蜂で大事にしているのは、地域づくりや環境発信。ミツバチをきっかけに自然に触れ、環境に興味を持ってもらう活動もしている。東京足立病院の取組み(左に記事)の支援もその一環。「足立区にはまだ畑があるので、なにかできれば」とも。
「昆虫は無機質なイメージがあると思うけど、ミツバチはものすごく感情豊かで、怒るときもある。イラっとすると高周波を出して威嚇します」。蜂は記憶力がとても良く、作業の際に誤って潰してしまうと気性が荒くなり、気を付けて扱っていると穏やかになるそうだ。「海外からの視察で、ここの蜂はジェントルだね、と言われました」。そう話す誇らしげな笑顔に、蜂への愛情が溢れている。
祖母から継いだ畑で野菜を育て、時折ハチミツも販売する個人養蜂家として、周辺地域で知られている。
福原さんがミツバチに出会ったのは、中学校の修学旅行で行った那須高原ハニー牧場。「人間に飼われている意識がないのに、人が手を入れてあげないと生きていられないところ」に興味を引かれたという。その後、岩手県の老舗・藤原養蜂場(明治34年創業)の見学会に参加。初めて屋外で飛び交っている蜂の姿を目にしてますます養蜂への思いは募り、図書館で蜂の本を借りて読み漁った。

高1になって、自宅に念願の巣箱を2箱設置し、1人で養蜂を開始。本の知識と実践の違いに手探りながらも、数十㎏採取できたという。翌年、藤原さんから「いきなり銀座に行け」と言われた先が、立ち上げ準備をしていた「銀座ミツバチプロジェクト」(銀ぱち)。高2にして養蜂指導の重責に見事に応えた。
銀座のビルの屋上での養蜂に当初は否定的な意見があったが、初年度の4~6月に100㎏の蜜を収穫。「銀座で飼ってわかったことは、人間が観賞用に植えている街路樹が蜜源になっていて、それが何百本単位で途切れずに咲くこと。花は単一の植物が多い農村部より町中の方が多い」
東京農業大学国際農業開発学科で学び、ベトナム、タイ、ブラジル、アルゼンチンの養蜂も研究。卒業後に銀ぱちに就職し、今や「ミツバチ博士ふくちゃん」として欠かせないメンバーだ。
養蜂で大事にしているのは、地域づくりや環境発信。ミツバチをきっかけに自然に触れ、環境に興味を持ってもらう活動もしている。東京足立病院の取組み(左に記事)の支援もその一環。「足立区にはまだ畑があるので、なにかできれば」とも。
「昆虫は無機質なイメージがあると思うけど、ミツバチはものすごく感情豊かで、怒るときもある。イラっとすると高周波を出して威嚇します」。蜂は記憶力がとても良く、作業の際に誤って潰してしまうと気性が荒くなり、気を付けて扱っていると穏やかになるそうだ。「海外からの視察で、ここの蜂はジェントルだね、と言われました」。そう話す誇らしげな笑顔に、蜂への愛情が溢れている。