「新しい出発の年」を盛り上げよう
「いやあ、今千住の街では、あちこちで開宿400年を祝う色々なイベントが繰り広げられ、そのエネルギーはすごいね。これから、もっともっと盛り上がりますよ。楽しみにしていてください」。近藤氏はそんな言葉で話し始めた。
9月中旬、15近くもの神社がある千住地区で、千住、千住本氷川、千住四丁目氷川の3つの大きな神社が、ちょうど5年に一度の大祭を迎えたことも、その賑わいに花を添えた。もっとも、5年前は新型コロナの流行の最中で、祭は中止となったため10年ぶりの大祭だった。
近藤氏が住む千住緑町でも、千住神社の大神輿が町内を練り歩いた。
近藤氏は「400年もの間、千住が東北と江戸・東京をつなぐ大変重要な拠点になれたのは、昔から交通の要衝だったことが大きいですね」と言う。そして、松尾芭蕉が「奥の細道」の起点に千住を選んだこと、あの葛飾北斎が何度も千住に足を運び、富士の見える名所として、かの有名な「冨嶽三十六景」に、3枚の千住浮世絵を描いたことなどを挙げて、「千住が大勢の人に愛された象徴的なこと」と指摘。
ところで、近藤氏は昨年末、自ら会長を務める古紙リサイクルの会社「美濃紙業」の創業者である父親の行雄さん(95)を亡くした。さらに、同時期に自分の体にも異変が見つかって手術をするというダブル難に見舞われた。
しかし、これも乗り切り、今年の3月14日に帝国ホテルで「近藤行雄お別れの会」を盛大に行った。「この節目の年に、千住の新たなる飛躍を目指したいですね。私自身も生まれ変わった気でやりますよ」と近藤氏は意気軒昂だ。
今、商工会議所足立支部では記念式典が行われる11月に向けて、冊子「北千住よりみちガイド2025」を作っている、とのこと。
近藤氏は、昭和27年(1952年)、会社創業の年に生まれ、千寿第七小学校(現さくら小)、第十五中学校(現青葉中)を出て、慶応高校、慶応大学を卒業。美濃紙業社長、会長から東京商工会議所足立支部会長を2期務め、11月から3期目に入る。
お酒とカラオケが大好きで、サザンオールスターズを歌わせたらもう……。桑田圭祐の「祭りのあと」、サザンの「栄光の男」が十八番だそうだ。
座右の銘が、福沢諭吉の「練習は不可能を可能にする」と渋沢栄一の「努力すれば逆境は現れない」。商工会議所に加盟する足立の企業約3550社を率いる、正に座右の銘を地で行く、気さくで庶民的な会長さんである。
「いやあ、今千住の街では、あちこちで開宿400年を祝う色々なイベントが繰り広げられ、そのエネルギーはすごいね。これから、もっともっと盛り上がりますよ。楽しみにしていてください」。近藤氏はそんな言葉で話し始めた。
9月中旬、15近くもの神社がある千住地区で、千住、千住本氷川、千住四丁目氷川の3つの大きな神社が、ちょうど5年に一度の大祭を迎えたことも、その賑わいに花を添えた。もっとも、5年前は新型コロナの流行の最中で、祭は中止となったため10年ぶりの大祭だった。近藤氏が住む千住緑町でも、千住神社の大神輿が町内を練り歩いた。
近藤氏は「400年もの間、千住が東北と江戸・東京をつなぐ大変重要な拠点になれたのは、昔から交通の要衝だったことが大きいですね」と言う。そして、松尾芭蕉が「奥の細道」の起点に千住を選んだこと、あの葛飾北斎が何度も千住に足を運び、富士の見える名所として、かの有名な「冨嶽三十六景」に、3枚の千住浮世絵を描いたことなどを挙げて、「千住が大勢の人に愛された象徴的なこと」と指摘。
ところで、近藤氏は昨年末、自ら会長を務める古紙リサイクルの会社「美濃紙業」の創業者である父親の行雄さん(95)を亡くした。さらに、同時期に自分の体にも異変が見つかって手術をするというダブル難に見舞われた。
しかし、これも乗り切り、今年の3月14日に帝国ホテルで「近藤行雄お別れの会」を盛大に行った。「この節目の年に、千住の新たなる飛躍を目指したいですね。私自身も生まれ変わった気でやりますよ」と近藤氏は意気軒昂だ。
今、商工会議所足立支部では記念式典が行われる11月に向けて、冊子「北千住よりみちガイド2025」を作っている、とのこと。
近藤氏は、昭和27年(1952年)、会社創業の年に生まれ、千寿第七小学校(現さくら小)、第十五中学校(現青葉中)を出て、慶応高校、慶応大学を卒業。美濃紙業社長、会長から東京商工会議所足立支部会長を2期務め、11月から3期目に入る。
お酒とカラオケが大好きで、サザンオールスターズを歌わせたらもう……。桑田圭祐の「祭りのあと」、サザンの「栄光の男」が十八番だそうだ。
座右の銘が、福沢諭吉の「練習は不可能を可能にする」と渋沢栄一の「努力すれば逆境は現れない」。商工会議所に加盟する足立の企業約3550社を率いる、正に座右の銘を地で行く、気さくで庶民的な会長さんである。











