◆◇大幟3年ぶりお目見え
貴重な静御前の山車も解体
千住氷川神社

2005年の大祭で建立された大幟。
手前は江戸時代作の神輿
【大幟が3年ぶりにはためく】
千住四丁目氷川神社(千住4―31―2)の大幟が、3年ぶりにお目見えする。
千住4丁目町会の有志で結成された「千四幟会」(横山惠一会長)が大正6年(1917)の大祭以来、83年ぶりに2000年の大祭で再建。境内で基礎穴の工事を行うなど、大掛かりな作業となった。その後、2005年の大祭で揚げたが、今回は2年後の大祭に向けての予行演習。
昔は浅草からも見えたという2流の幟は、幅1・8m×長さ15mもある。片方は約250年前の宝暦2年(1752)に作られたもので、「氷川大名神」と書かれている。江戸中期の書家・細井九皋の筆によるもので、本物は保管されているため、複製が使われる。 幟竿は長さ22mもあるまっすぐな杉の木。今ではかなり希少なものと思われ、幟をはためかせて天に向かって伸びている光景は圧巻。それを支えるのは、300~500㎏もの立派なけやきの土台10個。これも神社に保管されていたもので、これを見ただけで幟を立てることがいかに大仕事であることがわかる。今はクレーン車を使うが、機械のない昔の人の知恵と工夫には驚嘆する。
大幟のほかに、大太鼓を格納する高さ約5mの御借り屋が、昭和39年以来44年ぶりに組み立てられた。大幟の建立は9月7日(日)午前10時の予定。

44年ぶりに組立てられた御借り屋
【静御前の山車を解体】
同神社にはもう一つ、祭りに関わる貴重なものがある。区有形民俗文化財に指定され、郷土博物館(大谷田)のロビーに、昭和61年(1986)の開館以来展示されてきた山車だ。
明治5年(1872)の作。区内に唯一残る江戸型の山車で、昭和の始め頃まで巡行していた。大きさは高さ約7・53m、幅約3・6mで3層構造になっている。静御前が乗っている3層部分が上下に動く「せり出し構造」で、天下祭の際に江戸城城門をくぐるための工夫だとされている。
同館が8月25日~来年3月14日まで休館するのに合わせ、痛み具合などを調査するため解体が行われた。昭和39年と60年に、千住で展示のために組み立てられて以来。7月20日に同館ロビーで、神社総代・篠田貞雄千住4丁目町会長ら関係者や見学者が見守る中、神田囃千四会(塙邦夫代表)のお囃子の景気づけを受け、解体が行われた。
作業に携わったのは、棟梁の荒井隆さんと後継者の荒井竜一さん(31)、鳶の宮徳・佐藤浩正さんと後継者の順哉さん(24)ら。
棟梁と宮徳さんは、昭和60年の展示の際、写真だけを資料に手探りでやった経験者だが、それも20年以上前のこととあって緊張した様子。山車は釘を使っていないため、手で1つ1つ慎重に部品が外された。
静御前は東京で一番古いもので、髪には本物の人毛が使われている。また山車に巻かれている四方幕の刺繍は、千住4丁目の女性たちの手仕事で、金糸が足りずに自分の髪を売ったと伝えられる。
上部解体が無事終了すると、関係者はホッと一息。棟梁は「せり出しが無事に下がってホッとした」、宮徳さんは「スムーズにいってよかった」と笑顔を見せた。技の継承を期待される2人、竜一さんは「前に親父がやったと聞いて鼻が高かった」、順哉さんは「滅多にできないことなのですごい」と頼もしく話した。
調査・改修後は、祭りなどの機会に合わせて組み立て、お披露目する予定という。

23年ぶりに、せり出しを動かすと周囲から歓声が。
静御前もしばしお休みに

細かい刺繍は千住4丁目の女性たちの努力の賜物
【地口行灯】
9月の祭りに合わせて、千住の街に地口行灯が灯り始めた。
江戸時代に流行した言葉遊び「地口」とユーモアたっぷりの絵が、あたたかな気持ちにさせてくれる。
北千住駅西口のペデストリアンデッキ(千住本町五町会・地口行灯保存会設置)と学びピア前の板垣通り(千住五丁目町会設置)で、9月20日頃まで見られる。
【千住本町五町会宵宮】
千住1~5町会の神輿5基が、宿場町通りを練り歩く。各町会の担ぎ手たちの意地と熱気の共演は壮観。
紙すき問屋の横山家前では、軒の提灯の明かりをバックに、江戸時代にタイムトリップしたような気分になれそう。
9月13日(土)午後6時・神輿集合(5丁目板垣通り)、6時15分・出発式、6時40分・渡御出発、8時20分・解散セレモニー(足立成和信金前)

北千住西口ペデストリアンデッキ
貴重な静御前の山車も解体
千住氷川神社

2005年の大祭で建立された大幟。
手前は江戸時代作の神輿
【大幟が3年ぶりにはためく】
千住四丁目氷川神社(千住4―31―2)の大幟が、3年ぶりにお目見えする。
千住4丁目町会の有志で結成された「千四幟会」(横山惠一会長)が大正6年(1917)の大祭以来、83年ぶりに2000年の大祭で再建。境内で基礎穴の工事を行うなど、大掛かりな作業となった。その後、2005年の大祭で揚げたが、今回は2年後の大祭に向けての予行演習。
昔は浅草からも見えたという2流の幟は、幅1・8m×長さ15mもある。片方は約250年前の宝暦2年(1752)に作られたもので、「氷川大名神」と書かれている。江戸中期の書家・細井九皋の筆によるもので、本物は保管されているため、複製が使われる。 幟竿は長さ22mもあるまっすぐな杉の木。今ではかなり希少なものと思われ、幟をはためかせて天に向かって伸びている光景は圧巻。それを支えるのは、300~500㎏もの立派なけやきの土台10個。これも神社に保管されていたもので、これを見ただけで幟を立てることがいかに大仕事であることがわかる。今はクレーン車を使うが、機械のない昔の人の知恵と工夫には驚嘆する。
大幟のほかに、大太鼓を格納する高さ約5mの御借り屋が、昭和39年以来44年ぶりに組み立てられた。大幟の建立は9月7日(日)午前10時の予定。

44年ぶりに組立てられた御借り屋
【静御前の山車を解体】
同神社にはもう一つ、祭りに関わる貴重なものがある。区有形民俗文化財に指定され、郷土博物館(大谷田)のロビーに、昭和61年(1986)の開館以来展示されてきた山車だ。
明治5年(1872)の作。区内に唯一残る江戸型の山車で、昭和の始め頃まで巡行していた。大きさは高さ約7・53m、幅約3・6mで3層構造になっている。静御前が乗っている3層部分が上下に動く「せり出し構造」で、天下祭の際に江戸城城門をくぐるための工夫だとされている。
同館が8月25日~来年3月14日まで休館するのに合わせ、痛み具合などを調査するため解体が行われた。昭和39年と60年に、千住で展示のために組み立てられて以来。7月20日に同館ロビーで、神社総代・篠田貞雄千住4丁目町会長ら関係者や見学者が見守る中、神田囃千四会(塙邦夫代表)のお囃子の景気づけを受け、解体が行われた。
作業に携わったのは、棟梁の荒井隆さんと後継者の荒井竜一さん(31)、鳶の宮徳・佐藤浩正さんと後継者の順哉さん(24)ら。
棟梁と宮徳さんは、昭和60年の展示の際、写真だけを資料に手探りでやった経験者だが、それも20年以上前のこととあって緊張した様子。山車は釘を使っていないため、手で1つ1つ慎重に部品が外された。
静御前は東京で一番古いもので、髪には本物の人毛が使われている。また山車に巻かれている四方幕の刺繍は、千住4丁目の女性たちの手仕事で、金糸が足りずに自分の髪を売ったと伝えられる。
上部解体が無事終了すると、関係者はホッと一息。棟梁は「せり出しが無事に下がってホッとした」、宮徳さんは「スムーズにいってよかった」と笑顔を見せた。技の継承を期待される2人、竜一さんは「前に親父がやったと聞いて鼻が高かった」、順哉さんは「滅多にできないことなのですごい」と頼もしく話した。
調査・改修後は、祭りなどの機会に合わせて組み立て、お披露目する予定という。

23年ぶりに、せり出しを動かすと周囲から歓声が。
静御前もしばしお休みに

細かい刺繍は千住4丁目の女性たちの努力の賜物
【地口行灯】
9月の祭りに合わせて、千住の街に地口行灯が灯り始めた。
江戸時代に流行した言葉遊び「地口」とユーモアたっぷりの絵が、あたたかな気持ちにさせてくれる。
北千住駅西口のペデストリアンデッキ(千住本町五町会・地口行灯保存会設置)と学びピア前の板垣通り(千住五丁目町会設置)で、9月20日頃まで見られる。
【千住本町五町会宵宮】
千住1~5町会の神輿5基が、宿場町通りを練り歩く。各町会の担ぎ手たちの意地と熱気の共演は壮観。
紙すき問屋の横山家前では、軒の提灯の明かりをバックに、江戸時代にタイムトリップしたような気分になれそう。
9月13日(土)午後6時・神輿集合(5丁目板垣通り)、6時15分・出発式、6時40分・渡御出発、8時20分・解散セレモニー(足立成和信金前)

北千住西口ペデストリアンデッキ