足立朝日

集団疎開体験記(2)

掲載:2008年9月5日号
◆◇集団疎開体験記(2)
柴原 保佳
2 柳町小学校

 学校は、善光寺下の柳町小学校へ歩いて通った。子どもの足で20分はかかる距離だった。善光寺平の稲田の中、校庭の周りに柳の木の並んでいる、とても広くて環境のいい学校だった。男の音楽の先生が熱心な人で「海ゆかば」の3部合唱を教わった。何と言う先生だったか名は忘れてしまったが髪をふり乱してタクトを振っていた姿が眼に残っている。
 秋、運動会があった。柳町の生徒は黒く日焼けして体も大きく逞しく見えた。東京の生徒との徒競走や綱引きなど対抗試合もあったが、一方的に負けてしまった。千四(現常東小)のエースである一人の友達が、長身の田舎の生徒をゴール寸前で追い抜き、千四の意地を見せたことが嬉しく印象に残っている。負け惜しみではないが充分な飯を食べていたら、あれほどの惨敗はしなかっただろうと思う。
3 りんご事件
 善光寺の地下に「戒壇めぐり」というのがあって真っ暗な順路を手さぐりで歩いて、大きな鍵を探し当てると、その人は幸せになれると言い伝えられている。先生を先頭にその鍵に触れることが出来た。ガチャガチャと鳴らして何か、ほっとした気分になれた。
 善光寺の境内では随分遊んだ。山門を入って仁王門の右側に確か銀杏の樹が3本並んでたっていた。誰が思いついたのか、その銀杏の実を竿で落として土に埋め銀杏を食べるという知恵だった。自分の埋めた穴を憶えていて、実が腐り種だけ残った頃掘り出してそれを焼いたり炒ったりして食べるのである。体じゅう、かぶれて酷い目に会った生徒もいて、間もなくそれは禁止になった。
 善光寺の裏山にもよく遊びに出掛けた。長野の秋は全山が紅葉して非常にきれいだった。かるかや山、納骨堂のある裏山、ぬけるように青い空。裏山の一つ奥には黒姫山が一寸、顔を出している。その辺りは一面のりんご畑が拡がって居り、赤い実をたわわにみのらせていた。
針金を張った柵の中には風に落ちて腐りかけたりんごがいくつも転がって居り、どこから来たのか野良猫が、うまそうにりんごを食べている。私たちは、歩き疲れて居り、その上、腹が減っていた。その野良猫が羨ましかった。10人程の仲間だったが、突然その中の一人が柵の破れ目からつかつかと畑の中に入るや、落ちていたりんごを拾ってむさぼり噛った。
 「おーい。うまいぞ」そう言って、いくつかを柵の外へ野球のボールのように投げてくれた。続いて3、4人の子ども達がパラパラと柵の中に入り、むさぼり噛った。そしてセーターを裏返して、いくつも拾った。その騒ぎを知って、畑の奥に居た山番の男が血相を変えて鋏を手に持ったまま遠くから追いかけてきた。折角拾ったセーターのりんごをバラまいて、針金の間をくぐって逃げてくる者もあった。私たちは一勢に山を駆け下った。
寺に帰って素知らぬ顔をしていたが悪いことは出来ぬもので、逃げる時誰かがりんご畑に帽子を置いてきてしまい、大変な騒ぎになった。帽子は手元に戻ったが、結局同行者全部が先生の処へ謝りにゆき、拳骨を一つずつもらいその事件は解決した。
■訂正とお詫び 8月5日号体験記1の「今から40年も前~」は「今から60年」、「着とうば、天地神の~」は「箸とらば」でした。お詫びします。