足立朝日

絆結び世界に挑戦 綾瀬在住の伴奏者 塩家さん

掲載:2008年10月20日号


◆◇盲目のランナーと夢つなぐ

 スポーツの秋。夏に開かれた北京オリンピックとパラリンピックの記憶と興奮は、まだ記憶に新しい。アスリートたちが全力で競技に挑む姿は、私たちを魅了する。
  綾瀬在住の塩家吹雪さん(37)は、数少ない盲目のスプリンターの伴走者として活動。4年後のロンドンパラリンピックを目指している。



安藤選手と伴走する塩家さん

スペシャリスト

 塩家さんは日本で唯一、8年連続で短距離スプリントの伴走者として、大会に出場しているスペシャリストだ。
  これまで国内の数々の大会で優勝や入賞を果たし、世界大会では01年(カナダ)に100mで、昨年(ブラジル)は4×400mリレーで、それぞれ銅メダルを獲得した。
  全盲の人が、本当に全速力で走ることができるのか、信じられない人も多いだろう。
  それを可能にするのが伴走者の存在だ。「絆」と呼ばれる紐を互いの指にひっかけて繋ぎ、スタートからゴールまで並んで走ることで、選手は安心してまっ直ぐに全力疾走できる。
  伴奏者は隣の選手を見ながら腕の振りを合わせ、5m手前の地点でゴールを知らせる。
 「たった10数秒の間に多くのものを見て判断する。練習してできるものではない。センスかな。努力したのではなく、できちゃった」と塩家さん。以前、伴走した選手に「紐を引っ張られている感覚がない」と驚かれたという。


「世界一の伴走者の努力がしたい」
という塩家さん


アテネで8位
 塩家さんが伴走を始めたのは2000年。アテネで伴走した矢野繁樹選手との出会いによる。
  塩家さん自身、中学・高校では短距離選手だったが、故障が多く結果が出せないまま引退。
  90年、20歳の時に陸上のクラブチーム「AC・KITA」を設立した。昼は生協で働き、週4~5日の夜と土日は、練習に汗を流す。
 最初は健常者のためのチームだったが、今は「陸上競技を通じてのバリアフリー」を掲げ、所属する39人中、10人が障害者。健常者と同じメニューをこなす稀有なチームとなった。
 設立から10年目頃、練習場で1人で走っている当時弱視だった矢野さんを見かけ、「迷惑をかける」とためらう彼を誘ったのがきっかけだった。伴走の知識はなかったが、ためらいはなかった。塩家さんが思ったのは、「目が見えなくてもフツーじゃん」。
  以降、「ゴールを目指して走ることに障害は関係ない。腫れ物に触るようにではなく、自然に接する雰囲気を作れるようにしたい」と積極的に障害者の選手を受け入れてきた。
  01年に斉藤晃司選手と、世界陸上(カナダ)100mで銅メダルを獲得。「メダルを獲った人と同じ気持ち。足の裏がくすぐられるような興奮だった」。この時、かつて自分も見た五輪という夢の舞台が、伴走の形で蘇ってきた。
  04年のアテネでは、全盲になった矢野選手と、100mを走り8位入賞の快挙。2人で号泣したという。

目標はロンドン

 そして今、短距離全盲クラスの女性のトップ、100mの安藤千明選手(23)と共に、五輪でのメダルを目指す。
  今年3月のジャパンパラリンピックで、北京に出場可能な14秒05を上回る13秒94の記録を出したが、競技種目の兼ね合いで、惜しくも代表を逃した。
 2人の目標は4年後のロンドン。「金メダルを取らせて、肩車してやる」。塩家さんの誓いだ。伴奏者は隣を見ながら走るため体への負担が大きく、年齢的な限界も見えてきた今、これが花道となりそうだ。
  時にはチーム以外の活動もする。盲学校で全盲の子と伴走し、初めて全力で走った子どもたちは「安心して走れた。気持ちよかった!」と笑顔を見せた。
  「視覚障害者に走る喜びを伝えたい。そのためにも、僕に続く伴走者が現れてほしい」。多くの人の希望を繋げるため、走り続ける。