被爆者の証言を生で聞く集い「被爆者の生きた奇跡と今」(あだち上映実行委員会主催)が、7月11日、エルソフィアの学習室で開かれた。約30人が参加。
木元武允さんの証言で構成したドキュメンタリー映像「ヒロシマを語る」を上映後、本人が体験を語った。
木元さんは6歳の時に、広島から40㎞離れた疎開先でキノコ雲を目撃。その3日後、家族のいる広島に向かった。「夜中の2時に起こされて、兄貴の革靴を履かされて歩いたから、靴ずれが痛くて痛くて。この記憶しかない」。家族5人の中で、生き残ったのは木元さん1人。「10日ぐらいまえに父母が迎えに来たが、腹を壊していて帰れなかった。駅に向かう三輪車の後ろで、母親が涙をボロボロこぼして手を振っていたのが最後」。家族の記録は、名前が書かれた紙1枚だけという。
親戚の間をたらいまわしにされ、東京の親戚の家に預けられてからは、まだ小学3年生だったが家業を手伝わされ、満足に食事を与えられなかった。毎日空腹であまりにつらく、死のうと考えたこともあったという。母の日に学校で配られたカーネーションの色が自分だけ白で、「母の日が一番つらかった」。
「一言で言うなら、戦争は絶対やっちゃいけない。今の若い子に同じことをさせちゃいけない」と木元さん。講演後は、主催者側から核廃絶や抑止力の問題点についての話もあり、参加者は反戦の思いを共有した。
写真/体験を語る木元さん
木元武允さんの証言で構成したドキュメンタリー映像「ヒロシマを語る」を上映後、本人が体験を語った。
木元さんは6歳の時に、広島から40㎞離れた疎開先でキノコ雲を目撃。その3日後、家族のいる広島に向かった。「夜中の2時に起こされて、兄貴の革靴を履かされて歩いたから、靴ずれが痛くて痛くて。この記憶しかない」。家族5人の中で、生き残ったのは木元さん1人。「10日ぐらいまえに父母が迎えに来たが、腹を壊していて帰れなかった。駅に向かう三輪車の後ろで、母親が涙をボロボロこぼして手を振っていたのが最後」。家族の記録は、名前が書かれた紙1枚だけという。親戚の間をたらいまわしにされ、東京の親戚の家に預けられてからは、まだ小学3年生だったが家業を手伝わされ、満足に食事を与えられなかった。毎日空腹であまりにつらく、死のうと考えたこともあったという。母の日に学校で配られたカーネーションの色が自分だけ白で、「母の日が一番つらかった」。
「一言で言うなら、戦争は絶対やっちゃいけない。今の若い子に同じことをさせちゃいけない」と木元さん。講演後は、主催者側から核廃絶や抑止力の問題点についての話もあり、参加者は反戦の思いを共有した。
写真/体験を語る木元さん











