私の家の前は公園で、朝昼となくジョギングや散歩などで、自分自身の健康を維持しています。
昨年の8月頃、朝6時くらいから一風変わった人が公園の周りを3時間ぐらい、早足で歩いていました(1周600m)。
ちょんまげ姿、白装束に背負子を背負い、重そうに早足で毎朝、我が家の前を通り3時間ほど周回。窓越しに見ながら妻に「まだ歩いているよ。変わった人もいるものだね」と話していました。近所の人たちが「何をしている人なのかね」と、私に尋ねることもありました。
私は聞く方が早道と、ある日「何キロくらい背負っていますか」と初めて声を掛けました。それから急に親しくなりましたが、その人は三遊亭円楽師匠のお弟子の、三遊亭栄楽さんとのこと。さっそくホームページを見てみると、なるほど関心するほどのプロフィールでした。
「伊勢神宮464キロを徒歩で行く」練習だったとは。
11月4日の伊勢出発予定が円楽師匠死去で6日に変更となり、朝6時に日本橋から出発することを聞き、「私もお見送りに行くよ」と約束しました。朝5時半に20インチ一輪車を持ち日本橋に行くと、栄楽さんのファンが見送りにたくさん集まっていました。
最初は浜松町駅までお供して帰る予定が、品川も過ぎ、気が付くと鎌田に。私も変わったうちの1人かも……。栄楽さんは徒歩、私は20インチカーボンの一輪車、変な組み合わせ。
何が縁なのか川崎の稲毛神社まで来てしまいました。何度か彼はこの神社で仕事をしたということで、市川緋佐磨宮司を紹介していただき、お茶とケーキをごちそうになりました。栄楽師匠をそこで見送りわかれましたが、なんだか別れづらく、午後からの用事がなければもっと先までお供していただろうと思います。しかし歩く速度で一輪車は辛く、2日くらい筋肉痛でしたが……。
文・写真=足立区一輪車連盟理事長・若江正徳
写真=伊勢へ出発の朝6時、日本橋で栄楽さん(左)と若江さん
11月5日号で掲載した三遊亭栄楽さんの「歩いてお伊勢参り」。江戸時代に興味を持ったのがきっかけだが、円楽師匠の健康回復を願う意味もあった。17日には無事、伊勢に到着。18日朝に伊勢神宮に紋付羽織はかま姿で参拝した。「円楽師匠に25年間お世話になりました。今後は自分の力で歩いていきます」と誓った。
12月11日(金)は乃木神社(港区)で報告もかねた独演会が開かれる。午後7時から
問合せ TEL3879・1004栄楽さん
昨年の8月頃、朝6時くらいから一風変わった人が公園の周りを3時間ぐらい、早足で歩いていました(1周600m)。

私は聞く方が早道と、ある日「何キロくらい背負っていますか」と初めて声を掛けました。それから急に親しくなりましたが、その人は三遊亭円楽師匠のお弟子の、三遊亭栄楽さんとのこと。さっそくホームページを見てみると、なるほど関心するほどのプロフィールでした。
「伊勢神宮464キロを徒歩で行く」練習だったとは。
11月4日の伊勢出発予定が円楽師匠死去で6日に変更となり、朝6時に日本橋から出発することを聞き、「私もお見送りに行くよ」と約束しました。朝5時半に20インチ一輪車を持ち日本橋に行くと、栄楽さんのファンが見送りにたくさん集まっていました。
最初は浜松町駅までお供して帰る予定が、品川も過ぎ、気が付くと鎌田に。私も変わったうちの1人かも……。栄楽さんは徒歩、私は20インチカーボンの一輪車、変な組み合わせ。
何が縁なのか川崎の稲毛神社まで来てしまいました。何度か彼はこの神社で仕事をしたということで、市川緋佐磨宮司を紹介していただき、お茶とケーキをごちそうになりました。栄楽師匠をそこで見送りわかれましたが、なんだか別れづらく、午後からの用事がなければもっと先までお供していただろうと思います。しかし歩く速度で一輪車は辛く、2日くらい筋肉痛でしたが……。
文・写真=足立区一輪車連盟理事長・若江正徳
写真=伊勢へ出発の朝6時、日本橋で栄楽さん(左)と若江さん
11月5日号で掲載した三遊亭栄楽さんの「歩いてお伊勢参り」。江戸時代に興味を持ったのがきっかけだが、円楽師匠の健康回復を願う意味もあった。17日には無事、伊勢に到着。18日朝に伊勢神宮に紋付羽織はかま姿で参拝した。「円楽師匠に25年間お世話になりました。今後は自分の力で歩いていきます」と誓った。
12月11日(金)は乃木神社(港区)で報告もかねた独演会が開かれる。午後7時から
問合せ TEL3879・1004栄楽さん