千住飲み屋横丁の片隅、千住2丁目で約40年間、魚料理を中心に営業を続けてきた「肴や」が1月末で閉店した。
昔ながらの厨房を囲むカウンター、裸電球がぶら下がる店内は、昭和がそのままタイムスリップしてきたようだ。
店は当初、伊藤ミチカさんと夫(共に故人)で始めるが、開店から8年目、ミチカさんは夫に先立たれる。その後も常連客から「お母さん」と親しまれ店を切り盛りしていたが、一人では体力的に無理だと感じていた。
開店当初から客として通っていた現在の店の主人である魚谷克英さん(66)が、この店がなくなってしまうのは寂しい、なんとか残したいとの思いから、30年前に自らが厨房に入ろうと決意。「お母さん」から料理を学びながら、共に店を経営してきた。
10年前、その「お母さん」も急逝、以来一人で「肴や」の暖簾(のれん)を守ってきた。
自ら素材を築地まで買い付けに行く料理は、どこか懐かしくやさしい味わいがあった。薄い木製の短冊「手板」に毛筆で書かれた品書きにも丁寧な仕事が表れていた。
気配りはあるが、決して客の中に入り過ぎない間合い。そうした主人の人柄に惹かれ集った「常連」は東大農学博士、漢和辞典編纂者、某大手広告代理店敏腕社員など顔ぶれはまさに多彩だ。また、読書好きな主人を介して本を貸し合うなど、文学サロンの一面を覗かせることも度々あった。
営業最終日、ある常連客は「もうこれ以上の店は出ないだろうな」とつぶやきながら、最後まで「肴や」の情景を心に焼き付けていた。

写真=上/一人厨房を守ってきた魚谷さん。66歳を迎え、少しゆっくりしたいと語る=「肴や」で
下/「肴や」外観

店は当初、伊藤ミチカさんと夫(共に故人)で始めるが、開店から8年目、ミチカさんは夫に先立たれる。その後も常連客から「お母さん」と親しまれ店を切り盛りしていたが、一人では体力的に無理だと感じていた。
開店当初から客として通っていた現在の店の主人である魚谷克英さん(66)が、この店がなくなってしまうのは寂しい、なんとか残したいとの思いから、30年前に自らが厨房に入ろうと決意。「お母さん」から料理を学びながら、共に店を経営してきた。
10年前、その「お母さん」も急逝、以来一人で「肴や」の暖簾(のれん)を守ってきた。
自ら素材を築地まで買い付けに行く料理は、どこか懐かしくやさしい味わいがあった。薄い木製の短冊「手板」に毛筆で書かれた品書きにも丁寧な仕事が表れていた。
気配りはあるが、決して客の中に入り過ぎない間合い。そうした主人の人柄に惹かれ集った「常連」は東大農学博士、漢和辞典編纂者、某大手広告代理店敏腕社員など顔ぶれはまさに多彩だ。また、読書好きな主人を介して本を貸し合うなど、文学サロンの一面を覗かせることも度々あった。
営業最終日、ある常連客は「もうこれ以上の店は出ないだろうな」とつぶやきながら、最後まで「肴や」の情景を心に焼き付けていた。

写真=上/一人厨房を守ってきた魚谷さん。66歳を迎え、少しゆっくりしたいと語る=「肴や」で
下/「肴や」外観