
足立区の五色桜が、地下に眠っていた歴史を蘇らせた。
区は五色桜の故郷である江北2‐43の神領(じんりょう)堀に桜並木を復活させようと、4月から整備に取り掛かっていた。その工事現場で、かつて花見の人々で賑わった水路の一部、熊の木圦(いり)が地中から出現した。

レンガ造りの構造物が見つかったのは、6月17日(木)。地盤調査中、まさにその橋の設置予定場所から現れた。
構造物の高さは約3m。下部は2つのアーチになっていて、左右のアーチの端から端までは約6mある。
通常は障害物として撤去されてしまうが、古い建造物に詳しい現場責任者が「今の職人ではできない造り」と工事を中断。居合わせた石の専門家も「他にはないレンガ。今はほとんど製造していない。東京駅の駅舎と同じ組み方」と驚き、周辺の住民に尋ねたところ構造物の正体が判明した。
昔を知る人は 「熊の木圦」の存在を知っていたのは、神領堀前の通り(熊谷堤)で東屋酒店を営む清水幸藏さん(67)だ。「小さい頃に見ていたから、埋まっているのは知っていた。ずい道の中で魚を獲ったりして遊んだ」
このあたりはレンガに適した荒木田土が採れ、川で下流の都心部に運べることからレンガ工場が多く、清水さんの分家も操業していたという。
圦は戦後の護岸工事で埋められたが、平成6年に一度、その姿を現している。熊谷堤の下水道埋設工事があり、数日間だけ掘り出された熊の木圦の上部を、清水さんは写真に収めた。
荒川五色桜復活の会代表でもあり、5年前から神領堀に花を植え、植樹された桜の世話をするなど活動している清水さん。「地元の桜の名勝を酒だけでも残るように」と清酒五色桜を作って自店で販売するなど、親から伝え聞いた五色桜への愛着は強い。「桜の不思議な縁を感じる。熊の木圦は生きた歴史じゃないかな。保存して欲しい」と語る。

今後は
圦が明治時代まで使われていたのは確かだが、現時点ではレンガ遺構の建造年代は不明。レンガが工事関係者の言葉通り希少なものであるかどうかも、含めて調査中だ。
現場は、湧き出した水により1日でアーチ部分が隠れてしまうほど地下水位が高く、地盤も柔らかいため、安全性を考慮して一旦埋め戻された。
今後は土質調査を行いながら、圦の保存方法や熊の木橋の配置などを再検討した上で、整備を進める予定という。
いずれレンガ造りの圦の歴史が、明らかになる日が来るかもしれない。
【圦(いり)】土手の下に樋(とい)を埋めて、水の出入りを調節する水門のこと。川に囲まれた足立区では、かつて随所に見られた。千住の元宿神社にもレンガ遺構が残っているが、アーチ型ではない。

写真=上/出土した水門の遺構。地下水や雨水、土砂で底までは見えない=神領堀工事現場で
下/かつての熊の木圦と思われる写真=清水幸藏さん提供