足立朝日

掲載:2007年2月20日号



「旧千住宿の面影」 昭和39年1月。
 千住四丁目、旧日光街道の東側にあった「げた久履物店」は、慶応年間に建てられ、度々の天変地異にも無事に過ごし、5代の人々が営業を続けていたが、昭和 50年頃ついに取り壊された。中央下に見える大きな下駄は、実に100年以上も店先に吊るされていた。戦前の小売店の典型的な形態を記録した1枚である。
 付近一帯には、現在も約150年前建築の「長円寺」や約180年前建築の「横山家」、8代も続いている絵馬屋の「吉田家」などが残っている。また、少し北には約160年程前に建てられた整形外科の「名倉医院」もあり、古い千住宿の面影を今に伝えている。
(撮影・文=太田畯三さん・千住旭町在住)
掲載:2007年2月5日号

 新宿区など各地で、犯罪抑止や摘発に大きな効果を上げている防犯カメラ。平成17年度から足立区内にも登場、区民の安全のために活躍している。 (さらに…)
掲載:2007年1月20日号



鉄橋直前、驀進するD51と列車。昭和42年1月。
北千住駅を通過し、荒川鉄橋を渡る直前の下りD51蒸気機関車と旅客列車を、日ノ出町清亮寺付近の堤防から西に向かって撮影した。
  寒い頃なので煙突や蒸気排出管からは、多量の白い気体が排出されて躍動感に溢れている。D51は本来貨物用だが、この頃は客車用としても使用されていた。
  2年後の昭和44年3月から、その雄姿が見られなくなったのは本当に寂しかった。鋭い汽笛と走行中の騒音は、何時までも懐かしい思い出となって脳裏に残っている。
(撮影・文=太田畯三さん・千住旭町在住)
掲載:2006年12月20日号


旧堀切橋・昭和38年3月。
  荒川放水路の建設が進み、大正13年に初代の木橋が完成。位置は東武線「堀切駅」と墨田水門の中間あたりで、橋の中央が葛飾区との境であった。長さ493米、幅は8米だった。
  戦時中に損傷を受けて工兵隊より架け替えられたが、渡る時に車が通るとすこし揺れるような粗末な橋だった。昭和42年に新しい橋が250米ほど上流に完成したので、旧橋は取壊された。その橋は長さ514米、幅17米である。
  空想雑記=千住循環バス「はるかぜ」が延びて、日ノ出町・旭町・曙町地区を走る風景
(撮影・文=太田畯三さん・千住旭町在住)
掲載:2006年11月20日号


荒川と千住新橋。昭和44年1月
 荒川放水路は明治43年の大水害で大きな被害を受けた下町地区を護るため、大正2年に起工され、17年後の昭和5年に完成した。千住新橋は初代が大正13 年に開通した。全長は452米、幅員は10米だった。二代目は交通量の増大に伴い、昭和47年から3期に分けて工事が続けられ、昭和61年に完成した。全長は446米、幅員は上り線15米、下り線が13米と広くなった。写真は37年前に常磐線鉄道付近より撮影。
  空想雑記・河川敷に多くの人が憩える綺麗な休憩所がある風景。

(撮影・文=太田畯三さん・千住旭町在住)
掲載:2006年10月20日号
掲載:2006年10月20日号
◆◇ゲーム感覚でコーディネーショントレーニング
上沼田小

 今、話題の「コーディネーショントレーニング」。コーディネーショントレーニングとは、バランス感やリズム感をゲーム感覚で養えるトレーニング。日常生活機能から、一流アスリートのトレーニングとしても注目されている。
  10月7日、上沼田小学校(大森隆雄校長)の体育館で、JACOT(NPO法人日本コーディネーショントレーニング協会)から小田俊一講師を招いて1年生から3年生の児童と保護者の希望者を募り、15組がレッスンを受けた。 (さらに…)
掲載:2006年9月20日号
掲載:2006年8月20日号
掲載:2006年7月20日号