足立朝日

掲載:2009年8月20日号
千住4―31―2
氏子=千住4丁目




 ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。
 元禄4年(1691年)の創建と伝えられる。明治維新政府の神仏分離政策により、本地仏の魚籃観音は隣接する別当寺の長円寺に移された。
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掲載:2009年7月20日号
千住橋戸町25
氏子=千住橋戸町




 ご祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
 境内の縁起碑によると、延長4年(926)に創建された。はじめは千住の渡し場のほとりの小高い丘に小さな社が造られ、土地の開拓農民や荒川の上流から江戸に荷物を運ぶ船頭たちの信仰を集めた。
 本殿は延徳2年(1490)、拝殿は文久2年(1862)に建立された。安政6年(1859)に本殿再建。本殿は区内唯一の土蔵造りで足立区登録有形文化財となっている。 (さらに…)
掲載:2009年6月20日号
千住宮元町3―8
氏子=千住宮元町




 ご祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)、別名「八幡の皇子」と号し、後に第15代応仁天皇として即位。
 前9年の役(1051年~62年)で源義家が奥州(現東北地方)征伐に赴く際、渡裸(とら)川の渡し場(現千住大橋川上200m位の所)に白幡を立て戦勝祈願をした。その白幡が名称の起源とされ祀られることとなった。 (さらに…)
掲載:2009年5月20日号
千住大川町12―3
氏子=千住5丁目、千住大川町



参道から拝殿、保存樹が多く繁る

 ご祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
 創建は不詳。明治維新前は安養院別当であったが神仏分離で現在のような神社になった。 (さらに…)
掲載:2009年4月20日号
梅島2―24
氏子=中央本町1~5丁目、梅島1、2丁目




ご祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
 創建は武州足立郡淵江領新田村小右衛門稲荷大明神縁起によると、およそ600年前。 (さらに…)
掲載:2009年3月20日号
千住仲町48―2
氏子=千住仲町、千住東1・2丁目、千住関屋町


上=拝殿  下=欅造りの本殿
 ご祭神は素盞鳴尊(スサノオノミコト)。創建は不祥だが、901~922(延喜年間)に始まったとも言われる。1598年(慶長3年)に石出掃部亮吉胤(いしでかもんのすけよしたね)が開拓し、1616年(元和2年)荒川水防堤(掃部堤)を造る時に、敷地内にある神社を現在地に遷宮し、社殿を建て、改めて武蔵国一の宮氷川神社(現さいたま市大宮区高鼻町)の分霊を勧請してこの地の鎮守とした。 (さらに…)
掲載:2009年2月20日号
柳原2-38-1
氏子=柳原1・2丁目
通称=柳原稲荷神社



 ご祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。創建は不詳だが社伝では、1606年(慶長11年)徳川家康公が当地を訪れ、楊柳が繁って青々としている様子を見て皇朝の鬼門鎮守として比叡山延暦寺を建立したのに擬して、江戸城の鬼門除けとして創建させたと伝えられる。 (さらに…)