掲載:2010年2月20日号
掲載:2010年1月20日号
伊興2―12―22
氏子=伊興2~4丁目の中央町会

ご祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト=応神天皇)。
創建は不祥。八幡神は日本独自で信仰される弓矢神、武神。「八幡」の文字が初めて出てくる「続日本紀」天平9年(737年)で、読み方を「ヤハタ」と訓読みされていたが、神仏習合して仏者の読み「ハチマン」の音読に変わったと考えらている。
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氏子=伊興2~4丁目の中央町会

ご祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト=応神天皇)。
創建は不祥。八幡神は日本独自で信仰される弓矢神、武神。「八幡」の文字が初めて出てくる「続日本紀」天平9年(737年)で、読み方を「ヤハタ」と訓読みされていたが、神仏習合して仏者の読み「ハチマン」の音読に変わったと考えらている。
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掲載:2010年1月20日号
入谷2―25―5
氏子=入谷全域

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)
社殿の土台となっているのは白幡塚古墳といわれ、徳川幕府により編纂された『新編武蔵風土記稿』の入谷村の項によると、当時(文政5年・1822年頃)墳頂に祀られていたのは氷川神社ではなく、八幡社であったという。その後、鎮守を持たなかった入谷村の村人が「入谷村にも鎮守を」という事で氷川神社を勧請し、祀るようになったと伝えられている。 (さらに…)
氏子=入谷全域

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)
社殿の土台となっているのは白幡塚古墳といわれ、徳川幕府により編纂された『新編武蔵風土記稿』の入谷村の項によると、当時(文政5年・1822年頃)墳頂に祀られていたのは氷川神社ではなく、八幡社であったという。その後、鎮守を持たなかった入谷村の村人が「入谷村にも鎮守を」という事で氷川神社を勧請し、祀るようになったと伝えられている。 (さらに…)
掲載:2009年12月20日号
舎人5―21―34
氏子=舎人全域
ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。
創建は不祥だが、正治2年(1200)鎌倉時代の初期に埼玉県・大宮の氷川神社より勧請し祀ったと伝えられている。総けやき造りの本殿は、天保7年(1836)に造られたもので、足立区登録有形文化財に指定されている。
拝殿の奥の本殿は、文化財保護のため普段は金網越しにしか見ることが出来ない。柱と壁面には見事な彫刻が施され、登龍、降龍、八岐大蛇退治、天の岩戸開き、天孫降臨の様子が浮彫りになっている。次回公開は3月28日(日)午前10時~午後2時の予定。詳細はTEL3880・5984区文化財係。
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氏子=舎人全域
ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)。
創建は不祥だが、正治2年(1200)鎌倉時代の初期に埼玉県・大宮の氷川神社より勧請し祀ったと伝えられている。総けやき造りの本殿は、天保7年(1836)に造られたもので、足立区登録有形文化財に指定されている。

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掲載:2009年12月20日号
掲載:2009年11月20日号
東伊興2-12-4
氏子=伊興全域

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)。
足立区最古の氷川社で、足立区登録記念物となっている。往古、淵江領の総鎮守で、江戸期に村々の開発が進むとともに各地にも鎮守が祀られ、同社は伊興、竹塚、保木間3村の鎮守となり明治5年から伊興村の村社となった。
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氏子=伊興全域

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)。
足立区最古の氷川社で、足立区登録記念物となっている。往古、淵江領の総鎮守で、江戸期に村々の開発が進むとともに各地にも鎮守が祀られ、同社は伊興、竹塚、保木間3村の鎮守となり明治5年から伊興村の村社となった。
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掲載:2009年11月20日号
千住大川町49―8
崇敬神社

ご祭神は保食神(ウケモチノカミ)。
大正11年、当時は元宿といわれ新町会という140人ほどの町会があった。同町会の有志が、付近で火災が多く続いたのを憂えて、箭弓(やきゅう)稲荷神社講を設立。
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崇敬神社

ご祭神は保食神(ウケモチノカミ)。
大正11年、当時は元宿といわれ新町会という140人ほどの町会があった。同町会の有志が、付近で火災が多く続いたのを憂えて、箭弓(やきゅう)稲荷神社講を設立。
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掲載:2009年10月20日号
千住宮元町24―1
氏子=宮元町、千住1・2丁目、中居町、龍田町、寿北町、寿南町、柳町、緑町、梅田八千代自治会

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト)。
千住(千寿)に集落が形成され始めた延長4年(926)に土地鎮護・五穀豊穣を祈り、稲荷神社を創立。弘安2年(1279)同所に氷川神社を建立し、明治6年(1873)6月に両社を合祀。西森神社と改め、同年7月に足立区内唯一の郷社と定められた。大正4年(1915)12月、御社号を千住神社と改めた。現在でも氏子外、区外の多くの人の崇敬を集めている。
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氏子=宮元町、千住1・2丁目、中居町、龍田町、寿北町、寿南町、柳町、緑町、梅田八千代自治会

ご祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)、宇迦之御魂命(ウカノミタマノミコト)。
千住(千寿)に集落が形成され始めた延長4年(926)に土地鎮護・五穀豊穣を祈り、稲荷神社を創立。弘安2年(1279)同所に氷川神社を建立し、明治6年(1873)6月に両社を合祀。西森神社と改め、同年7月に足立区内唯一の郷社と定められた。大正4年(1915)12月、御社号を千住神社と改めた。現在でも氏子外、区外の多くの人の崇敬を集めている。
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掲載:2009年9月20日号
千住河原町10―13
氏子=千住河原町 千住市場守護神
ご祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
創建は不祥。安永5年(1776)本殿遷宮、文化元年(1804)拝殿が造営された。河原町の鎮守様であり千住市場の守護神。
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氏子=千住河原町 千住市場守護神
ご祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
創建は不祥。安永5年(1776)本殿遷宮、文化元年(1804)拝殿が造営された。河原町の鎮守様であり千住市場の守護神。

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掲載:2009年8月20日号
千住橋戸町53
氏子持たず 崇敬神社

ご祭神は大物主命(オオモノヌシノミトコ)、安徳天皇、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
現東京都中央卸売市場足立市場の敷地内にある。縁起碑によると、大正12年9月関東大震災直後、東京府北豊島郡南千住町字汐入、千住鮮魚販売所の設定により大正10年3月伏見稲荷神社より分霊を戴き、千潮稲荷神社の尊称となし、同所の守護神としてお祀り。 (さらに…)
氏子持たず 崇敬神社

ご祭神は大物主命(オオモノヌシノミトコ)、安徳天皇、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。
現東京都中央卸売市場足立市場の敷地内にある。縁起碑によると、大正12年9月関東大震災直後、東京府北豊島郡南千住町字汐入、千住鮮魚販売所の設定により大正10年3月伏見稲荷神社より分霊を戴き、千潮稲荷神社の尊称となし、同所の守護神としてお祀り。 (さらに…)