足立朝日

この本

掲載:2020年11月5日号
①「谷中レトロカメラ店の謎日和 思いをつなぐレンズ」柊サナカ著/宝島社刊/720円+税
 読んでいると、懐かしい匂いを感じる。長い月日が滲む木製の扉、ゆがみガラスの向こうに降る雨、年代物のカメラに囲まれた中に、淹れたての珈琲の香りが漂う。心を落ち着かせてくれるそれらが、物語の世界をじっくりと醸成する。
 人気短編ミステリー集「谷中レトロカメラ店の謎日和」の第3弾。宝島社の『このミステリーがすごい!』大賞・隠し玉としてデビューした足立区在住の著者の、大きな転機となったシリーズがついに完結を迎えた。
 舞台は東京・谷中でクラシックカメラを専門に扱う老舗「今宮写真機店」。三代目店主の今宮とアルバイトの来夏の元に、今日もカメラとともに様々な騒動が持ち込まれる。からくり屋敷の宝探しで見つかったポラロイドカメラ、高価なカメラを捨てようとしている男性、海から吊り上げられたカメラに秘められた過去、遺産相続の渦中で幻のカメラの行く末は――。
 忘れ得ぬ過去を持ち、依頼人に心を寄り添わせる来夏と、カメラへの卓越した知識によって、緻密に鮮やかに謎解いていく今宮。写真に込められた思いや秘密が、やさしく時に切なく胸に沁みる。
 一話ごとに登場するクラシックカメラの描写は愛情に溢れ、デジタルやスマホが席巻する今だからこそ、新鮮で楽しい。もどかしくも距離を縮めていく来夏と今宮の関係、そして商店街の人々の下町人情も見逃せない。
 事件は1篇ごとに完結しているので、この巻だけでもミステリーの妙は味わえる。
②「ヘディングはおもに頭で」西崎憲著/株式会社KADOKAWA刊/1,500円+税
 「言葉を失う」とはこのことだろう。全く初めてのジャンルの小説の威力に、ハートを射抜かれた感じだ。
 小説家・翻訳家・作曲家・歌人など様々な顔を持つ西崎の同小説には、自身の青春時代の思考回路が詰め込まれている印象がある。同書同等に、西崎自身への興味を覚えてしまう。
 何よりもうれしいのは、主人公の「松永おん」が、千住の住人であること。ページをめくるたびに、中央図書館、イトーヨーカドーetc.足立区民にとって馴染みの場所名が登場する。笑顔になる読者の顔が目に見えるようだ。
 2浪中のおんは、弁当屋のきついアルバイトをしながら自活している。かつて自分には双子の兄弟がいたことを知ってから、「自分は半分だけの存在で、未完成の人間である」という劣等感の中で生きている。友人の誘いで初めてフットサルに巡り合ったことから、おんの人生にスイッチが入る――。
 ゲームの光景がありありと目に浮かび、そこにおんの人生が重なって、深い共感と感動を覚える。最終章でおんがつぶやく言葉が、「希望」へと繋がり、心の曇り空が晴れていく。少年から青年への成長過程の心理がひしひしと伝わり、息子を持つ母親にとっても最高のバイブルになりそうだ。
 同書持参で、登場する店舗や場所を巡り、「おん追体験」するのも楽しいことだろう。